有罪者たちはみな踊る

2021/1/1(Fri)

 

 一昨日の晩は、友だちの家で鍋をしたあと、『闇動画』を観ながらコタツで寝落ちしてしまった。雪が降ったり止んだりを繰り返していて、頭痛がするくらいの寒さ。煙草を吸いにベランダに出るだけで、我ながら滑稽に思えるくらい大げさに震えてしまう。日中の光はしっかりとあたたかかったようで、夜のあいだ家々の屋根や街路樹や山の稜線を真っ白に染めていた雪は、目覚めた頃にはすっかり溶けていた。月あかりを反射して、ほのかに青白く光っていた雪。もはや夢の中の景色と区別がつかない。帰る前にしっかりとコタツでぬくもりながら、栗原康『アナキスト本を読む』を読み終えた。

 「アナキスト/本を読む」なのか「アナキスト本/を読む」なのか、実はまだ知らない。どちらも間違いではないのだろうとは思う。大杉栄伊藤野枝、一遍といった錚々たるアナキストらの評伝を手がけてきた著者による17年ぶんのエッセイ・書評・対談47本が収録された1冊だが、軽やかなノリがそのまま文体となっていて、すらすらと読める。とはいえ、文体の軽さだけが、この読みやすさを支えているというわけではない。文体の軽さ、そして字数の短さの中で、文章の「無駄」を排除せず、しかし消化不良感もなく、かつ冗長でもない、というのは紛れもなくある種の洗練に他ならない。


 「最近、わたしの友人のおおくが白痴になっている。もはや自分の未来を社会に役立てようなんて考えていない。無用者であることをいとわず、いつだってゼロからものを考えようとしている。ビールを飲む。白痴のからだから無数の酵母がわきあがってくる」(栗原、p59)


 白痴の発酵、そういった「無駄」にこそ社会の豊かさを見るべきではないか、と鍋をつつきながら、ビールを4本と、それからワインを飲んだ。決してアルコールに強くない自分としては暴飲と言える量だ。意識が凪いで、思考は減速し、言葉が加速する。やがてぬくぬくと糠床に沈んでゆくような穏やかな心地に包まれてくると、「意識」、「思考」、「言葉」と呼べるようなフレームがぐずぐずと崩れ落ちてゆくように思え、もはやどろどろのそれらから解放された身体は爽快な倦怠感に誘われるままに畳へと横たわる。あっ発酵している。眠りの中で思う。


 安藤礼二「(大杉栄の)その破壊は物理的なものであると同時に精神的なもの、自明の自分自身こそを打ち砕くんだということですよね」(同、p109)


 「支配するものをすべて壊す」思想がアナキズムであるなら、自らを支配する「自明の自分自身」こそをなによりまず壊さねばならない、栗原との対談の中で安藤はそう述べている。資本家を殴り、職場を焼き、仕事道具を燃やすだけではない。己を奴隷として日々しつけている自分自身を徹底的に壊すこと。

 本書には、著者による一遍の評伝『死してなお踊れ』を著者自身が評する文章が収録されているのだが、それを読んで「踊り念仏したい。めちゃくちゃになりたい」なんて言い始める私に「こちとら一遍じゃない、百万遍や!」と返してくれた友だちは、京都大学という糠床でいい感じに発酵したんだろうな、と思う。百万遍で踊り念仏。

 さらに読み進めていくと、年代順に編集されている本書の終盤、2020年以降の「ウィズコロナ」状況下で書かれたテクスト群は特にすごい。「不謹慎でヤバくて自殺的でダメなこと」(p248)だからこそカラオケに行ったりする。自己破壊の欲動、ニヒリズムのなせる業だ。ちなみに、『アナキスト本を読む』と並行して、ジョルジュ・バタイユ『有罪者:無神学大全』を読んでいるのだが、こちらもさすがのニヒリストっぷりを見せており、時折これら2冊の声が重なって聴こえてくるような気になったりするたのしい読書体験だった。未来のために現在の生を動員しないこと。企ての思考に陥らないこと。


 「私は、自分の気まぐれ、過剰さが、目的を持たないことを愛している」(バタイユ、p54)


 「私は記憶を失うことはないが、自分の悲しみを糧とする哲学者や呪われた詩人となる代わりに、ほとんど赤子のようになる」(同、p66)


 バタイユを読んでいたから、というわけでもないのだが、最近ずっと食べたくて仕方がなかったケーキを買いに向かう道すがら立ち寄った蔦屋書店で、偶然シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』が目に止まり、手に取った。いや、やっぱりバタイユを読んでいたから、しらずしらずにヴェイユが意識されていたのかもしれない。ヴェイユは、下手なアナキストよりはるかに怖い。未来も過去も、自分さえも捨てることをひたすら説いている。その苛烈さな純粋さに憧れると同時に、自分はヴェイユのようにはできないな…とかなしくなったりする。

 けっきょく読書納めは、笹井宏之『えーえんとくちから』になった。著者の死後、生前親密だった人々が出版した本。ヴェイユの著作もそうだった。偶然。

 そのあとは夜がきて、友だちたちとケーキを食べながら、だらだらと紅白を見ていた。テレビが流れているところでバタイユヴェイユを読むのはさすがに難しい。興味のないアーティストが出ている間だけ『えーえんとくちから』に目を落とす、ということをしていた。

 Perfumeもみたし帰るか…と帰宅してから、けっきょくなにか映画おさめらしい一本が観たくなったので、清水宏の『按摩と女』を観て、そしてバタイユを読みながら年を越した。残念ながら、年越し/年明けをなんだかんだとけっきょく意識している自分自身のことはまだまだ壊せそうにない。

アナキスト本をよむ

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  • 作者:康, 栗原
  • 発売日: 2020/12/16
  • メディア: 単行本
 

 

有罪者: 無神学大全 (河出文庫)

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えーえんとくちから (ちくま文庫)

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