毛玉集積場

日記を別の場所に書いているということもあり、久しくブログを開いていなかったことに気づいた。これがSNSだと、久しぶりに開いて反応できていなかったメッセージに気づき、いや別にそれで慌てたり罪悪感を抱いたりなんてことはないが、でもやはりなにかすこ…

有罪者たちはみな踊る

2021/1/1(Fri) 一昨日の晩は、友だちの家で鍋をしたあと、『闇動画』を観ながらコタツで寝落ちしてしまった。雪が降ったり止んだりを繰り返していて、頭痛がするくらいの寒さ。煙草を吸いにベランダに出るだけで、我ながら滑稽に思えるくらい大げさに震え…

クリスタルパレスのアリス

二〇二〇年十二月十二日、ロームシアター京都ノースホール、スペースノットブランク『光の中のアリス』を観た。 演劇を見るという経験を書くことのむなしさを噛みしめたうえで、あえて記録として記憶を記述してみたい。 登場人物の名については表記が不明な…

偶有性の幽霊

空を飛ぶ夢の中で私は自らが鳥であることを疑いはしない。では目覚めた「私」が自らを鳥でないと認識する時、鳥であったはずの「私」は消えてしまうのだろうか。 人間として、このような形で生まれてきてしまったこと。そしてあらゆる偶然性の結果が積み重な…

埋もれ木のゆくえ

化石になる方法を考える。身体組織が置換されて、文字通り石と化すこと。アンモライトや、黄鉄鉱やオパールに置換されたアンモナイトの化石のことを考えると、宝石の身体になることも不可能ではないような気がしてくる。酸化鉄の赤が入った珪化木なんかも素…

欲望と、そのあいまいな対象たち

双葉断層を見に向かう途中、自動販売機があり、そこに鬼滅缶が売っていた。中生代白亜紀の地層と鬼滅の刃が空間的に近接していることに、すこしの面白みと絶望を感じながらコーラを買った。いまになって思い出そうとすると、なにか見たことのない種類のコー…

マフラーを捨てて旅に出ることのできない孤独のやさしくなさ

互酬性、贈与交換、あるいはそのサイクルの中での滞留。そういった循環の論理から外れること。所有せず、競わず、争わないこと。そういうことばかりを最近は考える。 こないだ新文芸坐で観た『冬の旅』(アニエス・ヴァルダ監督/1985年)はブルジョワジーと…