毛玉集積場

 日記を別の場所に書いているということもあり、久しくブログを開いていなかったことに気づいた。これがSNSだと、久しぶりに開いて反応できていなかったメッセージに気づき、いや別にそれで慌てたり罪悪感を抱いたりなんてことはないが、でもやはりなにかすこし引っかかりが残ったりする、みたいなことがある。ブログにそれがないのは、ここが自分にとってはどこまでもひとりごとのための場所だからなのだと思う。

 ひとりごとは身体のどこか未知の器官に際限なく溜まっていってしまうから、ある程度排出しておかないといずれ調子が悪くなってくる。多血症の治療として瀉血するようなものかもしれない。とはいえ、猫の毛玉のようなものでしかないこれらのひとりごとをなんらかのまとまりに昇華しようという気にはどうにもならない。体内に長く残留した竜涎香のような言葉によって調合された香水のような文章を好ましく感じるからなのだろうか。いや、クジラの結石も猫の吐瀉物もそう大差ないものなのかもしれないが。